<プロフィール>
1971(昭和46)年4月8日生
堺市新檜尾台で妻百恵・長男と3人で在住
身長約175センチ・胸囲110センチ
血液型O型
両親は堺市土塔町在住



大阪府議会議員(2003〜)
総務常任委員(2003)、商工労働委員(2004)
大阪再生・地方分権調査特別委員
  信条:「未来に胸を張って譲り渡せる社会を!」
羽衣国際大学客員助教授(平成17年度〜・担当科目「地域社会と政治」)
<現在>
日本NPO学会会員
日本LD学会会員
地方自治経営学会会員
NPO法人国際協力ネットワーク関西顧問
アジア21世紀ネットワーク代表世話人
全国青年都道府県議会議員の会代表世話人
社団法人 堺高石青年会議所会員
社団法人 国際MRA日本協会会員
NPO法人すまいるセンター顧問
NPO法人JHP学校をつくる会会員
蘇鉄山山岳会幹事
堺大魚夜市実行委員
さかい掃除に学ぶ会会員
さかいNPO法人ネットワーク
社団法人青年海外協力隊プラザ・大阪 会員
NPO法人痴呆予防ネット 正会員
  その他同窓会・地域関係など。また、各種ボランティア・NPOと協働のネットワークを構築。
〜 ライフストーリー 〜
 <誕生から>
●サラリーマンの父、専業主婦の母の長男として堺市東三国ヶ丘町の金岡病院で誕生。
●1歳下の妹と2人兄妹
●父の転勤で幼時は高松市・広島市にも住んだことあり。

第2次ベビーブーム世代の昭和46年に生まれた森山は4300グラムの超巨大児。
金岡病院では新記録でその後もタイトルは長くつづいたとか。
生後8ヶ月で熱湯をかぶって大火傷を負い、生還したものの、血をみるのが苦手で野口英世博士のように医師になろうとはおもわず。
幼稚園時代は「囲い込まれる」ことに反発、脱走の常習犯だったとのこと。
 <小学校時代>
●堺市立新金岡小学校・錦西小学校出身
小学校入学のタイミングで、自分も生まれ、両親の出身地でもある堺市にかえる。
新金岡1丁7番に1年余り住む。
1年担任は寺内先生、2年担任は浜崎先生。
2年生の6月に七道西町のサニーハイツに転居、祖父の出身校、錦西小学校に転校。
担任は古殿先生、前田先生。
小学校卒業時には168センチのヤセ型。
このころは自由に表現できる小説家になりたいと思っていた。
 <中学校時代>
●堺市立月州中学校(水泳部)卒
中学校ではカラダを鍛えようと水泳部(顧問は上野先生、村君先生)に入部。
毎日窓ガラスが割れるような元気(?)な学校で、心身ともに鍛えられる。
(ちなみに大相撲の「泉州山」関の兄は同級生)
水泳部では主将をつとめ、大阪府大会にも出場。
弁論大会、応援団長などさまざまな経験をする。
担任は茶谷先生、上野先生。
伝統ある「旧:堺第一中学校」であり、先輩方にはいまでもお世話になっている。
このころは社会正義のために法を守る弁護士になりたかった。
 <高校時代>
●大阪府立三国丘高等学校(柔道部・生徒会)卒
徒歩20分の中学から自転車で10分の高校へ。
公立最大の16クラス780人が入学(42回生)。
自由な気風の伝統校で2年生で生徒会長。
役員を任命する「大統領制」で、やりがいあり。
柔道部(顧問:芦田先生)では経験者に混じって練習、黒帯を取得(初段:2段の型合格)。
「平成」は寒稽古中の道場でむかえる。
このころ、漠然と法をつくる政治家になろうと考えていた。
 <大学時代>
●明治大学(法学部・雄弁部)卒
「大学は東京に行こう」ときめ、総理大臣を輩出した大学のみを受験、代々木ゼミナールで一浪の末、明治大学法学部法律学科に入学。
大学に近い世田谷区北沢で風呂なし・トイレ共同の「良忠荘」に月2万2千円で下宿(現在は取り壊されている)。

・三木武夫首相らを輩出した雄弁部に所属、議論と各界の「エライ人」との面談に明け暮れる。
「全国遊説」「模擬選挙」などで社会への訴えを中心に活動、全関東学生雄弁連盟委員長、全日本学生弁論交流会長を歴任。
・ゼミは国際経済法の間宮勇ゼミで初代ゼミ長。
先生がWTOの研究で欧州留学のため、後輩の募集なし。

▼カンボジア('91〜)・旧ユーゴスラビア
・ロシア・阪神大震災などでボランティア活動〜漠然と「日本社会の恩恵を受けるだけの私たちの世代は何か世界に返すべきだ」と思っていた森山にとって湾岸 戦争後、国際ボランティアで「汗を流す日本人を見てもらおう」というNGOとの出会いは心にぴったりくるものだった。
それまでのNGOが「非政府」というより「反政府色」が強すぎ、日本社会から遊離している状況を根本的に変えるべきだという確信を得た。
また、卒業直前の阪神大震災の長田区のボランティア現場では日本におけるボランティアやNGOの変化の胎動の手応えを感じた。
妻とは旧ユーゴスラビアの難民キャンプの活動で出会う。
 <記者時代>
●関西テレビ報道部記者('96〜'98)(堺・神戸・NPO・警察など担当)
「ボランティアの現場に出る人は存在する。
 自分は日本の社会で前線と後方をつないで日本をボランティア社会にしたい」
・震災直後に入社した関西テレビでは新設の「営業企画部」に配属。
朝のワイドショー「痛快!エブリデイ」のプレゼントコーナーや新商品紹介の「タージンの元気印見つけた!」「満たして!好奇心」などのミニ枠、KTV 試写会などを担当。


・常に「報道希望」と上司にアピール、翌年夏の異動で報道部記者に。
いきなりO-157集団感染にぶつかり、「地方政府の対応で人の命が左右される」ことを実感。
当初からの目標どおり、NPOの後押しをする企画をしながら神戸支局へ。
須磨ニュータウン酒鬼薔薇事件がある。
震災3年の仮設住宅のドキュメンタリーのディレクターをつとめる。

98年春、結婚。
98年夏、大阪府警察捜査二課・四課担当となる。
 <政治家に>
●堺市議会議員('99〜)
・1期・完全無所属
・総務・市民環境経済・建設・厚生各常任委員
・行財政改革特別委員(副委員長)等歴任
「情報公開・市民参画」を武器に「前向きな改革提案」を基本に活動。
「まちづくりは人づくり」NPOやボランティアとのネットワークを大切に、市民全体のためにはたらけるよう、「完全無所属」を貫く。
詳しくは「市議時代のHP」をどうぞ。
2003年4月の統一地方選挙で大阪府議会議員に当選(18317票:8位)