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2001/01/17 No.004

メールマガジン『21CENTURY PEACE MAKER 』 第4号

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 ▲ 堺から世界を変える!!       △
       堺市議会議員森山ひろゆき
△   メールマガジン          ▲
     『21CENTURY PEACE MAKER 』
 ▼       第4号(震災特別号) ▽
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★阪神淡路大震災から「6年」★
●5時46分●
 1月17日、この日は毎年テレビを見て黙祷を捧げる。
きょうも5時過ぎから関西テレビと毎日放送の番組を
みていたが、6時になると神戸のサンテレビしか震災の
番組を組んでいない。
 「震災を風化させるな!」しかし、めまぐるしく動く
世の中を考えると、仕方がないことでもある。
●1995年、1月17日●
 あさ6時前、当時明治大学4年だった私の部屋に母から
電話があった。「ウチは無事やで、大丈夫だから!」
 年末年始をカンボジアの学校建設で過ごした私は、
卒業試験の準備に追われ、この日は学生同士で朝方まで
「新年会」をして帰ってきたところだった。
慌てて掛けなおすが、こちらからは電話がつながらない。
なんのことかわからぬまま、当時テレビがなかった私は
食堂のテレビで事態を知ることになる。
高速道路がアメのようにグニャリ、長田は火の海。
とても「日本」でおきていることとは思えなかった。
ボランティア仲間のタロウさんは早速西宮に入ったが、
とにかく卒業試験は受けないといけない、
私は2月あたままで東京にいた。
●神戸へ●
 神戸にいた高校の同級生マサルから連絡。
「お前、ボランティア経験あるやろ、
何か用意できるものは?」
緊急援助期が終わり、現地から
「あたたかい風呂に入れない」という声が
きこえだしていた。
「ドラムカンもっていって、五右衛門風呂作ろう!」
 「テレビの力」を実感したのはこのときである。
東京の友人たちに呼びかけると、すぐに10人あまり
が応じ、神戸へ出発。続々とボランティアがつづいた。
たくさんの悲しみに出会った。
これまで海外で戦争や貧困、病気などの悲惨さを
みてきたが、まさか、日本で…と正直思った。
「築き上げてきた豊かな社会が破壊される」という意味で
人々のショックは当時の旧ユーゴスラビア諸国の人々の
苦しみにも似ている、と感じていた。
いろいろ批判はあるがテレビの「被災地外への発信力」
は圧倒的だった。だれもが「自分の問題」として
意識できたのではないだろうか。
…そして、続々と人の波がつづいた。
●関西テレビで●
 その年の4月に関西テレビに入社し、営業企画部に
配属されてからもこのときの仲間たちとは細々と連絡を
とっていたが、翌年7月に報道部に配属、
記者として「震災を風化させず、ボランティア社会を!」
をテーマに取材を重ねる。
 97年春には神戸支局に異動、
98年1月の「震災3年特別番組」ディレクターに。
記者暦1年半の新人にとっては荷が重い「60分枠」。
西神中央の仮設住宅で3ヶ月の密着取材。
この間電話をいただいたTさん、年賀状をいただくYさん、
こども2人のEさんや自治会の皆さん。
まさに「土足で生活にはいりこむ」ことでつくらせて
いただいたドキュメンタリー。
これも「風化させない」「被災地の現実を外にしらせる」
という使命のために自分に何の得にもならない「取材」に
応じていただいた。
●震災の教訓●
○モノをもっていてもしょうがない。
…大事にしていてもモノは地震ですぐにこわれる。
○「まち(コミュニティ)」がいかに大事かということ。
…隣の人同士でたすけあうことで「いのち」が守られた。
○役所は万能ではない
…組織が機能するまでには時間がかかる。
 その後改善を模索しているものの、やはりタイムラグは
 なくならない。
○ボランティアのあり方
…「やってあげる」は相手を傷つけることもある。
 緊急援助は専門家と自分たち自身で、それを過ぎたら
 心のケアこそが重要になってくる。
 勘違いをしてはいけない。
○こころ
…ボランティアや報道は被災者本人にはなれない。
 
●その後●
その後、携帯電話が普及し、今ではEメールやホームページ
で個人が情報を発信できるようになってきている。
災害時にどれだけ役に立つか、想像に難くない。
心のあり方さえ健全なら、技術の進化は正しい。
基本を忘れず、やってゆくべきだと思う。
●「刻み付ける」こと●
 子どものころ、「8月15日」がピンとこなかった。
いくらテレビをみても、本を読んでも、
自分には想像できない大変な世界だったんだろうなあ、
と感じていた。
戦争が終わった事は祖父母が健在であった私にとっては
いくら「またぎき」を重ねても
「昔そんなことがあった」歴史の1ページでしかなかった。 昨夏、カンボジアの学校建設ボランティアの後輩たちに
当時の話をする機会があった。
 彼らは当時中学生である。
東京の中学生たちにとっては遠い出来事だったという。
行動範囲からいってもあたりまえだが、6年というのは
そのくらいの長さがある。
 
 だからこそ、である。
この時代を生き、何らかの形で「阪神淡路大震災」
を経験した私たちはそのときどこにいたか、何をしていたか
…を含めて自分の中にしっかりと刻み付けてゆくことが
使命だと思う。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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